トライバル・フュージョンは革新的なダンサー達によって発展しました。60年代後半のサンフランシスコにベリーダンサーJamila Salimpourのダンスカンパニー’Bal Anat’のパフォーマンスの中で、トライバル(部族)スタイル・芸術性のあるパフォーマンスを取り入れることで発展させていきました。California Renaissanceの見本市に合わせてベリーダンスのパフォーマンスをするためJamilaは、北部アフリカと東部地中海の部族の踊りと衣裳を考案しました。
その後、Caroleena Nericcioによって、アメリカン・トライバル・スタイル(American Tribal Style 以下ATS)というグループの即興スタイルを開発しました。Caroleena Nericcioは、‘Fat Chance Belly Dance company(以下、FCBD)’を創設しました。コスチュームスタイルは、フラメンコダンサーやジプシー文化を思わせる広がりのあるスカート、チョリ、コインブラ、タッセルのベルト、パンタロン、ヒップスカーフ、ターバンなどのアイテムを身にまといパフォーマンスをしていた。このタイプのコスチュームは、伝統的なベリーダンスでは定番とされているスパンコール衣装とは非常に異なっていた。このように、部族的なスタイルによって発展された後に、’フュージョン’の発展が始まりました。
長い間FCBDのメンバーであったJill Parkerは、1996年にUltra Gypsy Dance Theatre Companyを結成しました。ATSのボキャブラリーを基盤に独自のフュージョンスタイルを作り出すため、他のダンススタイル(バーレスク、キャバレー、フラメンコなど)を取り入れ、トライバルフュージョンとして発展させていきました。昨今のトライバルフュージョンを牽引しているダンサー、Rachel Brice、Sharon Kiharaはも、Ultra Gypsyに所属していました。このことから、Jill Parkerは「トライバルフュージョンの母」と言われている。
Rachel Briceは、Suhaila Salimpour(Jamillaの娘)の元でベリーダンスを学び、現在も世界中のフェスティバル等でパフォーマンスを行なっている。2000年代前半までは、トライバル・フュージョンは様々なスタイルと融合し(Urban fusion, Dark fusion, Contemporary fusion, Cabaret fusion, Goth fusion…等)今後も発展し続けるアート性の高いダンススタイルといえる。
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