“Story of __” 第一章 – سحرني –
2011年頃のこと、所属していた”Altin Studio”でのショー活動が毎月のように数えきれない程あったので、「踊ってみたかった曲」シリーズはすべてこの頃に踊り尽くしていたと思う。今思うとそれほど凄まじい数のステージをこなしていた。
そして、そこで訪れたのは
“インプットの必要性”だった。
この当時の私はマハラガンやシャービー、サイーディなど謎のエジプトブームが訪れ、
有名なアーティストが来日するとあればすぐにWSに参加していた。
今になって映像や集合写真なんかを観ると、あらこの方も!?え、この方もいたのね!!と驚く面子ばかりでした。
しかし自分は体が薄くペラペラで、筋肉不足も良いところだったので踊りにも芯がない感じが露呈していました。
WSとなると、とにかく必死について行ってるという感じでした。
それでも手持ちのお金はすべて学びや衣装代、プロップ代に使っていたし、そこになんの躊躇もなかったと思う。
Altinに移籍してからは、2009年ごろから活動していたFaridat”ファリダット”というグループで100回位踊った

この曲無くして、この時代のことは語れないというくらい
私たちのソウルソングと言っても過言ではない 笑
この曲を聴くと今でも鮮明にあの時代のみんなと過ごした宝石のような時間の記憶を思い出せさせてくれる。
仲間と踊る大切な曲はこんな風に時代が変わっても
思い出をクリアに蘇らせてくれる魔法の装置なのだと思う。
だから私もみんなに振り付けをする曲は、
誰かに送る大切なプレゼントのように時間をかけてもセレクトしたいと思います。
そして、この頃から明確に
”プロダンサー”を意識することとなった。
当時ずっと続けてきた仕事は非常に激務で、締め切りもあるわイレギュラーな対応も多くダンサーと仕事を両立しようとすればするほど、私はすべてにおいて中途半端な人間になってしまうと感じていて毎日焦燥としていました。
そして、そんな頃に舞い込んだのはインストラクターのチャンスでした。
まずは代行からと先生に紹介してもらったクラスは、100名近くの超満員の大人気ベリーダンスクラス。
初めてのレッスンでこの人数を満足させられるはずもなく、撃沈。
終わった後にバックヤードで号泣して30分は外に出られなかったです。
しかし、この帰り道に私の脳裏によぎったのは
こんな半端なレッスンをした自分が恥ずかしいし、悔しい。
絶対に来た人に満足してもらえるレッスンが一回でもできるまでレッスンを続けてやるぅぅぅぅぅ!!!(号泣 with 鼻水)
えーと…ルフィなのかなこの子は?笑
ワンピースばりに心に強い信念を持ってからの私は、
ここで、仕事を完全に辞めました。
そしてNOAダンス教室という大手の企業がプロデュースする教室を師匠から幸いにも紹介していただき、この頃からレッスンを始めました。さらに個人でのショーにもチャレンジしてみたいという思いで、夜な夜なトルコやインド、中東系のレストランに向かい名刺を配り歩いては”踊らせてくれないか?”と営業の日々でした。
当たり前のように怖い経験もたくさんしたし、傷ついたこともありましたが…
ようやくレギュラーショーをいただける良いレストランが2軒見つかり
初めてのソロレギュラーショーには当時通い始めてくれていた生徒さんや昔からの友人、以前の仕事の仲間やクライアントなどで満員になる程、大好きな方たちばかりの幸せなショーでした。

人生の舵を180度ぶんまわしてしまったKader。
でももうあとは進むしかない。
この頃の私はとにかくルフィみたいに強かった。
初のソロショーで踊った思い出の一曲。











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