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“Story of __” 第一章 – liberation –

“Story of __” 第一章 – liberation –

2007年の秋ごろ、私にしては珍しく続いていた習いごと “ベリーダンス”の発表会いわゆるハフラといわれるものに参加した。

青山にある”月見ル君想フ“という会場で、生徒数もかなり多くおそらく100演目を超えていたと思う。昼にスタートするイベントだったが終わりは20時過ぎというマンモスハフラであった。

当時、スピリチュアルとベリーダンスを融合した唯一無二の存在だったDevadasiスタジオというベリーダンススタジオに通っていた。

友人の誘いをきっかけに夢中になっていったベリーダンスだったけれど、当時は何か目標があったわけではなくて、ただただ音楽にのって毎週心地よく踊れる空間だった。

アンビエントや空間系のインスト音楽が当時は好きだったので、そういったフュージョン曲を好きに選べ、初めてのハフラでソロで好きな曲を使用し踊らせてもらえるようなスタジオは多分他になかった気がする。

2年ほど前から少しずつ通っていたが、ダンスがもともとうまかった訳ではないので、練習を熱心にするというより、ダンスフロアで音に合わせて即興でふわふわ踊る延長線みたいな動きだったと思う。笑

それでもそこでは皆が自分のダンスを肯定してくれた。伸び伸びしたスクールの理念は、今でも自分のルーツとして息づいてると感じることもいまだに多いと感じる。

さて、そんな初めての発表会でソロを踊ることになったわたしは衣装のセレクトから選曲まで自由に任された。当時インターネットで怪しげなインドのサイトから購入した15,000円程度のインド刺繍とビーズの入った黒とシルバーのセットアップ衣装だった。

周りはBellaやInarioなど豪華な衣装の先輩たちに囲まれ、非常にチープな衣装の少女が君臨していた。笑

ただ、わたしはそれで大満足だった。

素敵な豪華で宝石のついた衣装も着てみたいけれど、、自分で夜な夜なネットサーフィンをして見つけたこの衣装が自分にとってのアイデンティティであったし、誇りのようにも感じていた。

そしてこの衣装に合う曲をとその時の自分が選曲したのは

♪ Kidda – Natacha Atlas

だった。Natacha Atlasは当時師匠のYildizが踊っていたりレッスンでかけていたので擦り切れるほど聴いていたのもあったし、何より伸びのあって情熱的なボーカルの声と中東の独特な音域がとてもすきだった。

あの当時一辺倒にマイヤとスネークアームだけで一曲を踊りきれたのは、

この曲のおかげだったと思う。

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